本質主義

2019年をまるまるブログ書かないまま終わるところでしたね。


まぁ、それもまた良しかなと思えたこの一年だった。


いろいろと多くの人と関わらせて頂き、そして何より一年掛けて自己分析のスキルだけは成長した年。

問題は心の成長。


2016年あたりから悩むことが多く、そして考えさせられることが増えて周りから『考え過ぎじゃない?』と言われることが多くなったw

個人的には能力は成長してるなと思ってるのだが、いかんせん身体能力と精神的な成長は別次元のこと。


空間と時間の概念くらい違う(この例え合ってるのか不安だw)気がしてて。

本質的なことに目を向けるといろいろと考えさせられることが自然と増えてくる。

タイトルに書いた『本質主義』的な発想は自分の中から生み出た発想。
けれど、いろいろな著書や他者の人生からインスパイアされてきて生み出したもの。

まだまだ自分のものに消化出来てない感はある。

本質主義の定義を備忘録として書いておこう。

『本質主義』とは。


人間、心、幸せ、本能、原始欲求。
それらの本質から現代の社会をどう生きるべきか考察してありのままの自分でいるための生き方を積み上げること。

この本質主義的な考え方を持つようになってからまず資本主義を疑い、そして民主主義を疑い、ありとあらゆる主義を疑うようになった。

疑うという言い方をすると語弊があるな。

『否定』しているわけではない。

そこに『疑問』を持つことが大事な気がしている。まずは認知することから始まる。

自分の中の「これが正しい!」って気持ちは自信の部分なのでポジティブな意味合いを持つことが多いが、時にはケースバイケースでその正しいことが間違いの可能性もある。

正義の反対が正義だから戦争がこの世から無くならないわけで。


だからこそ時には自分自身も疑い、相手を受容することから始めるべきなんじゃないかな。

そう思う。


自分の今の環境においては正しいことかもしれなくても、相手の環境や考え方や価値観とは違う場合がある。


そういうことを想定して相手の気持ちを察することが、良い人間関係を構築する基本中の基本な気がしている。


まだまだこの考え方を身につけたばかりで実験中だし、この考え方な人を知らないため(身近にいない)自分が実験台になって挑戦するしかない。


しかし、世の中は資本主義で回っている。

この事実は変えられない。

太陽が沈むのを止められないのと同じ。

どうすることも出来ない。


けれどもそんな中で苦しみをあえて選択し、その先にある幸せを掴むことが出来たときに初めてほんの少しの幸せを噛みしめることが出来るのではないのか、、、


そんな望みを、希望を抱いている。



とにかく、まずは目の前のことと向き合い、ちゃんと自分の足で立って歩んでいくことが大事なこと。


悩みや苦しみはみんな持っていて、その重さは人それぞれ違う。

その重さを理解することは出来なくても、想像することはできる。

それができて初めて対等に胸を張って人と対話が出来る。

そう信じて。


少しでもより楽しんで生きられるように。
願いを込めて。

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